がんばってね
みなさまこんにちは。伊藤です。
最終回の「人を傷つけない対話」のテーマは「がんばってね」です。これについて一緒に考えてゆきましょう。
「がんばってね」という言葉は、発して良いパターンとだめなパターンがあります。
良いパターンは、その状態が続けられる人に対して言う場合です。たとえば、マラソン選手に「がんばってー!」と言えば、選手は勇気づくでしょう。これが良いパターンです。
だめなパターンは、やり方がわからない人や迷っている人に対して言う場合です。たとえば、勉強の仕方がわからない受験生や進路に迷っている学生や社会人などに「がんばってね」と声をかけても意味がないかと思います。このようなパターンは、相談に乗ったり、時にはアドバイスをしてあげるほうが適切です。
さらに、良いパターンでも時としてだめなパターンに当てはまる可能性もあります。
人によっては「がんばってね」と言われると「いやもうがんばっているんですけど」と感じてしまう人もいるようです。
そのような危険性(?)を防ぐため、現在完了進行形である「がんばっているね」という言葉のほうが適切かと思います。
まぁ、あえて「がんばらなくてもいいんだよ」という言葉も私は好きですが。
以上です。(参考文献:『14歳からの仕事道』玄田有史)
今回でこの「人を傷つけない対話」は終了となります。全部で10回でした。
1:そもそもなぜ人を傷つけない対話がいいのか
2:学部は何ですか?
3:誰もがそう思うこと
4:「ではなく構文」と「というより構文」
5:相手の所属先を尊重すること
6:関数から見る人の成長(コラム)
7:大変だね
8:このブログを書いている理由2、逃げずに考える
9:簡単じゃん!
10:がんばってね
皆さんはどれが好きですか?私は2が一番好きですかね。3は賛否両論分かれました。
たいしたことのないブログでしたが、これを楽しみにしてくだった方もいたようで、書き手としてはとても光栄です。
新年度から、また新たな連載を考えておりますので、ご期待ください!!
3ヶ月間ありがとうございました!!
簡単じゃん!
みなさまこんにちは。伊藤です。
今回の「人を傷つけない対話」のテーマは「簡単じゃん!」です。これについて一緒に考えてゆきましょう。
ですがその前に、突然ですが、みなさんはだれかに「教えた」ことはありますか?
「いや、教職目指していないし」「塾講師のアルバイトはやったことあります」という答えが返ってきそうです。確かに「教える」というと「教員」という印象が強いように思えます。
ですが教えるという行為は教員に限ったことではありません。部下に、後輩に、子供に、様々な職場あるいは家庭で、「教える」ということは頻繁に行われます。
もちろん教員や塾講師でも生徒に対して生徒の分からない部分を教えます。「ここの数学の問題が分からないです」という質問に対して解法や理論を教授します。
その際に言ってはならない言葉が、今回のテーマである「簡単じゃん!」だと私は思います。
なぜか。この言葉を言われて生徒が問題を解きえたとしても、生徒は「ああ、この問題は簡単って先生は言っていたな」と思ってしまいます。
悪いのは解きえなかった場合です。「ああ、先生は簡単って言っていたのにできなかった。俺は頭が悪いのだな」と思い、自信を失ってしまうかもしれません。
塾講師に限らず、職場・家庭で部下・後輩・子供に対しても同様のことが言えます。
「簡単じゃん!」はできなかった場合、自信を喪失させてしまいます。
ではどうすべきか。私はあえて「これ難しいよ」と言うようにしています。
これならば、できたらできたらで「おお!難しいって言ったのによくできたね!」と言え、
できなかった場合は「ああ、残念だったね。でもこれは難しいから仕方ないよね」とフォロウできます。
かくいう私も、この手法で自信をつけられました(受身)。
本日はここまでにします。お読みくださりありがとうございました。次回の最終回のテーマは「えっ!?上智でその時給!?」です(変更の可能性大)。こうご期待!
【今日の振り返り】
・「簡単じゃん!」はできなかった場合にフォロウがしにくく、自信を喪失させてしまうかもしれない。
・「難しいよ」は、そのハードルを越えた時に自信がつく。
このブログを書いている理由2
みなさまこんにちは。伊藤です。
今回はテーマを変更します。今回は私のブログのテーマである「人を傷つけない対話」をなぜ書いているかについてお書きします。
実はこの理由については第一回目ですでに書いてあります。簡単に要約すれば、「よき人間関係が築けるから!」というものです。
しかし、ほかにも理由があるのです。そのほかの理由について書きます。
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カチンとくる言葉や人を傷つけてしまう言葉はだれでも言われるのは嫌ですよね。私も例外ではありません。
そして、多くの人がその嫌なことを言われた経験を早く忘れようとすると思います。私もその一人「でした」。
しかし、ある方の影響で、嫌なことを忘れるという考え方を改めるようになりました。ある方というのはほかでもない斎藤孝先生の影響です。
彼の著書を読んでいると、「斎藤先生は逃げない」という彼自身の思想や性格みたいなものが著書を通じて伝わってくる気がするのです。
嫌な経験でも、逃げずに考えて自分に落とし込んで、文章化して本にする。
斎藤先生の著書を読み進めていくうちに、私もそうしてみようかな、と思うようになりました。
その一つとして、話術をブログにしてみたのです。
そのような想いで、私はこのブログを書いています。
大変だね
みなさまこんにちは。伊藤です。
今日の「人を傷つけない対話」テーマは「大変だね」です。なんとなく結末はお分かりかもしれませんが、これについて一緒に考えてゆきましょう。
皆さんがこの「大変だね」という言葉を発するときはどのような時でしょうか。
相手が、「私は法職目指しているから大学に夜九時まで残っているんだ」「僕は家から大学が遠いから二時間半かけて通っているんだ」「家庭の関係でトリプルバイトしなければならないんだ」
などなど、相手にとって決して楽、楽しいとはいいがたいことを言ったときに、思わず「大変だね」と言ってしまうのではないでしょうか。
でも、「大変だね」と言われた方はいったいどう思うでしょうか。
大変なことは相手自身薄々気づいているでしょう。それなのに「大変だね」と言われることで、本当に相手自身の大変さを肯定してしまい、やるせなさを感じさせてしまい、究極的には相手を傷つけてしまうかもしれません。
あるいは、相手はその苦労をものともしていませんかもしれません。先の例でいうと、自分は法曹になりたいがため一生懸命勉強している場合などです。それなのに「大変だね」と言ってしまうことで、努力に水を差してしまうことにもなりかねません。
本日はここまでにいたします。お読みくださりありがとうございました。次回のテーマは「誰でもできる、簡単じゃん!」です。乞うご期待!
【今日の振り返り】
・「大変だね」という言葉は、相手の大変さを肯定してしまうのでNG!!!
関数からみる人の成長~努力は実を結ぶ~
※長文です。
みなさまこんにちは。伊藤です。
今回はコラムをお送りします。
テーマは「関数からみる人の成長~努力は実を結ぶ~」です。よくわかりませんね。これから順を追って説明していきます。
また、中学生レベルの数学の知識を必要とします。このブログをお読みになる際は、紙とペンと、数学の苦手な方は隣に数学の得意な方をご用意してください(笑)。
そもそも関数って何ぞや?というところから入りましょう。難しく考えず、皆さんが中学生の時に習ったy=ax+bのグラフのことです。
さてさて、ここでご用意していただいた紙とペンを用いて、表を二つ書いていただきます。横軸に「時間」、縦軸に「成長度」と書いてください。これを二種類書いてください。写真の図1のようになりましたか?
ではこの「時間」と「成長度」の意味を説明していきます。横軸の「時間」は文字通り右に行けばいくほど時間が経過していくことを表し、縦軸の「成長度」は上に行けばいくほど人間的に成長していくことを表します。
ここで、「時間はともかく、成長度なんて計れるわけないじゃん!」という意見が聞こえてきそうです。おっしゃる通りです。ただここでの話は抽象的な意味での人間としての成長度としてとらえてください。厳密性は排除してください。
さて、二つの表の一つに「天才型」、もう一つに「努力型」と書いてください。図2のようになりましたか?
そこにそれぞれグラフを書いていきます。「天才型」の表にはy=x+5のグラフを、「努力型」の表にはy=2xのグラフを書いてみてください。厳密でなくてもかまいません。重要な部分は、天才型には切片(b)が大きくあり、努力型には傾き(a)が大きいという部分です。ここだけ守っていただければ、あとは大雑把でかまいません。図3のようになりましたか。
では、できたこの二つのグラフを組み合わせてみましょう。すると、、あらあら!ある時期までは天才型のほうが成長度が上だったのに、いつのまにか努力型のほうが上に位置している!!!(図4)
そうです。努力は実を結ぶのです。自分の天才性に胡坐をかいている人はいずれ追い抜かれる運命にあるのです。数学的に(?)証明されました!(笑)
ここで確認しておくと、y-ax+bのaが「努力量」、bが「天性の才能」です。aが大きければ、bが大きい人を追い抜くことができます。
考えられる批判として、「天才が努力したら追い抜けないじゃん!」があります。確かに一理ありますが、aの値を努力して大きくすれば、いつかは追い抜けます。あるいは、「俺の成長は二次関数的だ!」と信じるのもありかなと思います(もちろん、下に凸で)。
最後に、もう一個蛇足を書いてこのコラムを終了いたします。
「自分に変域を設けてはならない」ということです。変域とは数学的には「0<x<50」などであり、ここでは「(自分の)限界」と置き換えたほうがわかりやすいでしょう。
どういうことかというと、自分で変域(限界)を設けてしまうと、それ以上伸びなくなってしまうということです。たとえば、「俺は弁護士になりたいけど能力ないから司法試験受験をあきらめよう(俺の能力はy<80)」などとしてしまうと、本当にそれ以上伸びなくなってしまいます。自分に変域(限界)を設けないためには、小さくとも多くの成功体験を積むことや、偉人たちの歴史を知ることで「人間には限界がない。あると思ってはいけない」と私は思うようになりました。
以上です。長文失礼しました。
【今日の振り返り】
・天才型はy=ax+bのbが大きいが、努力量aのよって天才をも追い抜くことができる。
・自分に変域(限界)を設けてはならない。
相手の所属先を尊重すること
みなさまこんにちは。伊藤です。
今回のテーマは「相手の所属先を尊重すること」です。
私の事例を用いながらご説明していきます。
私は大学でアダム・スミスを研究するゼミに所属しています。それをとある学外の先輩に言ったら、「スミス、面白くないですよね」と言われてしまいました。。
私はそのゼミの教授の人間性、『道徳感情論』の面白さに魅かれてそのゼミに入ったのに、それを一蹴してしまう一言(正確には二回言われた)。さすがの私(?)も結構落ち込みました。
相手の所属先を「落としてしまう」のは、とても危険です。人は何かしらの目的をもって組織に入るものです。そういった事情を考慮せず、自分の感情に任せて言葉を発してしまうのは。傷つけます。自分がその組織にいることを否定されることで、自分自身も否定されてしまう感覚を覚えます。
時には、危ない組織に所属している友人に忠告するために、危うさを警告することはあるかもしれません。しかしこれは仲が良くなった段階で行わないと逆効果になるかもしれません。スミス嫌いの先輩には初対面でそれを言われました。
仲が良くなってから、深い話をしたいものです。
本日はここまでにします。お読みいただきありがとうございました。次回のテーマは「会議での優しさ」です。乞うご期待!
【本日の振り返り】
・相手の所属先を悪く言うべからず。究極的には自分が否定された気になる。
「ではなく構文」と「というより構文」
みなさまこんにちは。伊藤です。
今回の「人を傷つけない対話」のテーマは「『ではなく』構文と『というより』構文」です。今回のテーマもよくわかりにくいので、私の事例をもってご紹介いたしましょう。ただ、もう忘れている部分もあり、正確性にはやや欠けます。
以前、私が文部科学省の説明会に出席した時です。説明が終了し、質疑応答の時間に入ったとき私は挙手をし質問しました。質問内容は、担当者の説明を踏まえて「○○さまの志望理由は国家の行く末をコミットできる『ことではなく』、教育にご関心があったということですが、具体的にどのような部分にご関心があったのですか?」ということだったと思います。私がマイクを持ちこの言葉を発しつつ、ふと頭の片隅でこう思いました。「ん?『ことではなく』って失礼だよな?国家公務員に国家の行く末をコミットできることを否定するのはおかしい!」と思い、すかさずこう言い換えました。「○○さまの志望理由は国家の行く末をコミットできる『というより』、(以下略)」
これは我ながらうまく言い換えられたと自負しております。
また、中三生の作文指導においても以下のようなことがありました。
高校に提出する自己PR文章でこう書かれていました。「御校は他校『と違い』、大学受験指導に力を入れており…」…って、いやいや、ほかの高校さんも決して受験対策を行っていないわけではないでしょ(笑)。だから、「他校よりも」ってしたらどう?と指導した経験があります。
日本語は婉曲(曖昧?)な言語です。あからさまに否定するより「というより」で柔らかくその後の語を続けるほうが違和感がないと私は思います。
本日はここまでにします。お読みくださりありがとうございました。次回のテーマは「相手の所属先を尊重すること」です。乞うご期待!
【今日の振り返り】
・「AではなくB」より「AというよりB」のほうが柔らかいニュアンスになりgood!