人を傷つけない対話

みなさまこんにちは。伊藤と申します。

あだ名は「いーたん」です。「伊藤」を中国語読みするとこうなります。

このたびブログを始めました。よろしくお願いします。

 

さて、このたびから連載モノ的なものを始めてみようかと考えています。

何を書くかというと、表題にもある通り、「人を傷つけない対話」についてです。

私はこう見えて、人を不快にさせない会話に気を付けているつもりなのです。

「はぁ?お前のせいでどんだけ傷ついたと思っているんだ?!」と思われている方もいるかと思います。でも私は私なりに自分が話した言葉をフィードバックしながら次につなげているつもりです。そして先日、とある方から「いーたんは言葉と心と肌がきれい」とまで言われるようになりました(笑)。注意していただきたいのは「言葉」です。私の意識していることを気づいてくれる方がいて、とてもうれしく思いました。

なので、私が意識している言葉づかいをここに連載形式で書いてみたいと思います。どのようなものになるかは私にもわかりません。今回だけで終わりになってしまうかもしれません(笑)。

 

初回となる今回は、そもそもなぜ人を傷つけない対話がいいのか考えてみたいと思います。

当たり前ですが、カチンとくる言葉は誰でも言われたくないですよね。「刃物の傷は見えるが、言葉の傷は見えない」という言葉もあるように、自分が何気なく言ったことでも、相手をものすごく傷つけているのかもしれません。言われた相手は、言った人間と関わりたくなくなります。プライベートなら100歩譲ってよいとしても、仕事の関係であれば、コミュニケーション不足による業務支障が起こってしまうかもしれません。

 

なので、円滑な人間関係だけでなく、円滑な仕事を行うためにも、自分の言葉には気を付ける必要があるのです。

 

ここで注意したいのは、「たとえ言葉だけ巧みであってもならない。さらに大切なの心(herat)である」ことです。いかに言葉だけ巧みでも、それが全てうそであったり、言行不一致であったりすれば、たちまち信頼は地に落ちます。だから、冒頭書いたように「言葉と心」が大切になってゆきます。

ここでこのような反論が聞こえてきそうです、「心さえ備わっていれば、きれいな言葉なんて必要ない。」しかし、私はこれは違うと思います。人は言葉を使わないと表現できません。以心伝心が伝わる人間などいないと私は思います。いたとしても生涯に一人いるかいないか。いたとしても常時伝わるはずなどありません。

なので、やはりきれいな言葉を使うことは大切になってくるのです。

 

今日はここまでにします。お読みくださりありがとうございました。次回の傷つけワードテーマは「学部はなんですか?(なんでしたか?)」です。乞うご期待!

 

【今日の振り替えり】  

・きれいな言葉を使うことは円滑な人間関係を築け、良き仕事ができる。

・言葉だけ巧みであってもならない。さらに大切なのは心である。