誰もがそう思うこと

みなさまこんにちは。伊藤です。

 

今回のテーマは「誰もがそう思うこと」について考えていきたいと思います。

 

テーマがよくわかりませんね。私の事例を用いながらご紹介しましょう。

 

私は男性です。でも名前は女性と間違えられやすい名前をしております。

初対面の際、しばしばいわれることは「女性みたいな名前ですね」です。

その方からすれば興味本位でおっしゃったのでしょうが、この名前でずっと生きてきた(そして今後もこの名前で生きていく)私からしたら超聞きなれています。。

 

決して不快なわけではありませんが、ややめんどくさいと感じることはあります。

 

もう、私が何を言いたいのかお分かりですね。そう、誰もが思いそうなことは、もう言われ続けているのです。

ほかにも、逆に女性なのに男性らしいお名前の方、珍しいお名前の方、身長が高いなどの身体的特徴がある方や左利きの方などは、おそらく言われ続けています。

 

そのような方につい言葉を発してしまうか、「誰もが思うことだな」と思い自分の言葉を封じるのかが、不快にさせるかさせないかの境目ともいえます。

 

今日はここまでにします。お読みくださりありがとうございました。次回のテーマは「『ではなく』構文と『というより』構文」について考えてゆきましょう。乞うご期待!

 

【今日の振り返り】

・誰もが思いそうなことは、迂闊に言うべからず。その人は言われ続けている。

学部は何ですか?

みなさまこんにちは。伊藤です。今日のこのテーマに入る前に、前回のブログにスペルミスがございました。Heartのスペルが誤っておりました。慎んでお詫び申し上げます。

 

さてさて、今回の「人を傷つけない対話」のテーマは「学部は何ですか?」です。これについて一緒に考えていきましょう。

 

「えっ?この言葉は別に失礼じゃないじゃん!?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。そのような方は大変素晴らしいです。その方は行きたい大学に進み、自分の学びたい学部で学び、充実した学部生活を送られているのでしょう。素晴らしいです。十分誇れるべきことだと思います。

 

ただ一方で、大学というものは、必ずしも行きたい大学・学部に進めた人だけではありません。望む大学に進めなかった方、入学時に興味があった学部の興味が現在は失せた方、抽選で希望する学科に落ちた方などもいます。

 

特に今回私が注視したいのは学部です。前述のとおり、入学時は興味があったがしばらくして興味が移った方、親の意向で行かせられた方、などなど、人によっては所属する学部を快く思っていないかもしれません。そのような方に(迂闊に?)「学部は何ですか?」と尋ねることは少なからずその方に不快感を与えると私は思います。学部によってあたかもその人の人間性まで勘違いさせられる場合も少なからずあります(経済学部生は拝金主義者?など?)。私はこれを「学部による人間性拘束」と呼んでいます。

 

ではどうすればよいか。「大学で何を学ばれていますか?」私はこれを使うようにしています。これは所属する学部に幻滅している方にも、独学で何か興味のある別なことを勉強している方にもとても効果的です。自信をもって「これを学んでいます!」と答え(させ?)れるからです。

 

大学とは自分で学ぶところです。学部で学ぶことなどたかが知れていると私は思います。

 

今日はここまでにします。お読みくださりありがとうございました。次回のテーマは「誰もがそう思うこと」について考えてゆきましょう。乞うご期待!

 

【今日の振り返り】

・行きたい学部に進めなかった人や現在の学部には興味が失せた方に「学部は何ですか?」と尋ねることは、少なからず不快感を与える。

・「何を学ばれていますか?」は上記の方のみならず独学している人にも効果的。

・大学とは自分で学ぶところ。

学部は何ですか?

みなさまこんにちは。伊藤です。今日のこのテーマに入る前に、前回のブログにスペルミスがございました。Heartのスペルが誤っておりました。慎んでお詫び申し上げます。

 

さてさて、今回の「人を傷つけない対話」のテーマは「学部は何ですか?」です。これについて一緒に考えていきましょう。

 

「えっ?この言葉は別に失礼じゃないじゃん!?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。そのような方は大変素晴らしいです。その方は行きたい大学に進み、自分の学びたい学部で学び、充実した学部生活を送られているのでしょう。素晴らしいです。十分誇れるべきことだと思います。

 

ただ一方で、大学というものは、必ずしも行きたい大学・学部に進めた人だけではありません。望む大学に進めなかった方、入学時に興味があった学部の興味が現在は失せた方、抽選で希望する学科に落ちた方などもいます。

 

特に今回私が注視したいのは学部です。前述のとおり、入学時は興味があったがしばらくして興味が移った方、親の意向で行かせられた方、などなど、人によっては所属する学部を快く思っていないかもしれません。そのような方に(迂闊に?)「学部は何ですか?」と尋ねることは少なからずその方に不快感を与えると私は思います。学部によってあたかもその人の人間性まで勘違いさせられる場合も少なからずあります(経済学部生は拝金主義者?など?)。私はこれを「学部による人間性拘束」と呼んでいます。

 

ではどうすればよいか。「大学で何を学ばれていますか?」私はこれを使うようにしています。これは所属する学部に幻滅している方にも、独学で何か興味のある別なことを勉強している方にもとても効果的です。自信をもって「これを学んでいます!」と答え(させ?)れるからです。

 

大学とは自分で学ぶところです。学部で学ぶことなどたかが知れていると私は思います。

 

今日はここまでにします。お読みくださりありがとうございました。次回のテーマは「誰もがそう思うこと」について考えてゆきましょう。乞うご期待!

 

【今日の振り返り】

・行きたい学部に進めなかった人や現在の学部には興味が失せた方に「学部は何ですか?」と尋ねることは、少なからず不快感を与える。

・「何を学ばれていますか?」は上記の方のみならず独学している人にも効果的。

・大学とは自分で学ぶところ。

人を傷つけない対話

みなさまこんにちは。伊藤と申します。

あだ名は「いーたん」です。「伊藤」を中国語読みするとこうなります。

このたびブログを始めました。よろしくお願いします。

 

さて、このたびから連載モノ的なものを始めてみようかと考えています。

何を書くかというと、表題にもある通り、「人を傷つけない対話」についてです。

私はこう見えて、人を不快にさせない会話に気を付けているつもりなのです。

「はぁ?お前のせいでどんだけ傷ついたと思っているんだ?!」と思われている方もいるかと思います。でも私は私なりに自分が話した言葉をフィードバックしながら次につなげているつもりです。そして先日、とある方から「いーたんは言葉と心と肌がきれい」とまで言われるようになりました(笑)。注意していただきたいのは「言葉」です。私の意識していることを気づいてくれる方がいて、とてもうれしく思いました。

なので、私が意識している言葉づかいをここに連載形式で書いてみたいと思います。どのようなものになるかは私にもわかりません。今回だけで終わりになってしまうかもしれません(笑)。

 

初回となる今回は、そもそもなぜ人を傷つけない対話がいいのか考えてみたいと思います。

当たり前ですが、カチンとくる言葉は誰でも言われたくないですよね。「刃物の傷は見えるが、言葉の傷は見えない」という言葉もあるように、自分が何気なく言ったことでも、相手をものすごく傷つけているのかもしれません。言われた相手は、言った人間と関わりたくなくなります。プライベートなら100歩譲ってよいとしても、仕事の関係であれば、コミュニケーション不足による業務支障が起こってしまうかもしれません。

 

なので、円滑な人間関係だけでなく、円滑な仕事を行うためにも、自分の言葉には気を付ける必要があるのです。

 

ここで注意したいのは、「たとえ言葉だけ巧みであってもならない。さらに大切なの心(herat)である」ことです。いかに言葉だけ巧みでも、それが全てうそであったり、言行不一致であったりすれば、たちまち信頼は地に落ちます。だから、冒頭書いたように「言葉と心」が大切になってゆきます。

ここでこのような反論が聞こえてきそうです、「心さえ備わっていれば、きれいな言葉なんて必要ない。」しかし、私はこれは違うと思います。人は言葉を使わないと表現できません。以心伝心が伝わる人間などいないと私は思います。いたとしても生涯に一人いるかいないか。いたとしても常時伝わるはずなどありません。

なので、やはりきれいな言葉を使うことは大切になってくるのです。

 

今日はここまでにします。お読みくださりありがとうございました。次回の傷つけワードテーマは「学部はなんですか?(なんでしたか?)」です。乞うご期待!

 

【今日の振り替えり】  

・きれいな言葉を使うことは円滑な人間関係を築け、良き仕事ができる。

・言葉だけ巧みであってもならない。さらに大切なのは心である。